このブログには私個人の日記が書いてあると思われるかもしれませんが、実は村上春樹の「壁と卵」の比喩で言えば、まさに高く堅牢な壁に卵がぶつかる様を描いています。もちろん卵は人で壁は組織(社会)です。私は決して個々の卵を非難しません。常に壁の存在を問い質しているのです。
例えば、私の家族や大学や研究所や会社の人のことを書いたとしても、その人のことを非難していません。もし非難しているように感じるのであれば、それは壁を高く堅牢にして卵を(その人自身も含め)押し潰そうとしているからかもしれません。しかし、私はあくまで壁を、そうまさに卵を押し潰そうとしている壁を、常に苦々しく感じているのです。
家も町も国も壁で仕切られています。人は壁の内側に住むのです。しかし、壁には窓や扉が必要です。外の風を入れるための窓、外に出るための扉です。ずっと壁(塀)の中に閉じ籠もっていると、空気が澱み、世界(価値観)が狭まります。
時々私は窒息しそうになる。そして外の世界に飛び出したくなる。そんなときにしばしば壁にぶつかります。その描写に、壁の象徴のような番人が出てくるときがあるのでしょう。しかし、私にとって個人名(個々の卵)はそれほど重要ではありません(殊更に明記する必要はありません)。それよりも組織(社会)の壁、すなわち自由を拒み、息苦しくし、卵を押し潰す、そんな壁の存在をリアルに描写したいのです。
壁は敵や風雨から私達を守ってくれます。いざというときは、本当にありがたい存在です。しかし、いつも壁の中に隠れていたら、頭がおかしくなってしまいます。それに、壁の外に逃げ出さないと死んでしまうときもあるでしょう。
実は、日本という壁も相当息苦しい存在になりつつあると思います。もう逃げ出さないといけない時期に来ているのかもしれません。