昔々ギリシアのアルキメデスは、王冠が純金かどうかを調べるのに、物質による密度の違いを利用した。それから2000年以上経た物質文明全盛の現在、私たちの身の周りにあるものの機能(性能)は、わずかな構成元素の違いにより左右される。日本の御家芸とも言える、いわゆる環境技術とは、このような性能の高効率化と低環境負荷化を指す。
ここで如何に精確および迅速(簡便)に構成元素を把握できるかが重要になる。分析化学が(特に日本の)産業に大きな影響を与える所以である(現代の錬金術は分析化学技術に大きく依存する)。
分析化学の手法の一つに分光法(Spectroscopy)というものがある。これは物質から出てくる光を調べることで、その構成元素の種類と量(割合)を知る方法である。星の光を調べて、その構成元素を知ることもできる。
ある未知の物質を燃やしてみたとき、あるいは光に透かして(いろいろな角度から)みたときに、その色(波長=エネルギー)や強さ(光子数)の違いから、私たちは構成元素の種類や量を知ることができるというわけだ。
ここで光と物質の相互作用に関する知見が重要となる。ある物質(粒子)に、どのような性質の光(粒子)を当てると、どんな光(粒子)が飛び出してくるか?そんな基礎実験データが必要不可欠である。このような様々な性質の光(光子)を創り出す施設がSPring-8やPhoton Factoryである。
そんなに特殊な光でなければ、電球のような仕組みで光を創ることができる。これを光源という。
光源からの光を試料に当てて、それを取り出す仕組みを光学系というが、回折格子(ミラー・レンズ)・プリズム・スリットのような分光器を用いるものを分散型、用いないものを非分散型という(注1)。
取り出してきた微弱な光を増幅して電気信号に変えるものを検出器という。ここには光に感応する物質が使われる。増幅には電磁場を利用する。検出される光は、散乱・吸収(透過)・励起・蛍光である(注2)。
分光法から様々な物質の情報が得られる。したがって、精神文明における情報革命がITであるのに対し、物質文明における情報革命は分析化学といえるだろう。
(注1)フィルタ(吸収材)も特定の光を取り出す(単色化する)モノクロメータの一種ではあるが、分光器とはいわないので、非分散型光学系にはフィルタや視野制限のためのスリット(コリメータ・ダイヤフラム)を用いる。
比色法は分光法の一種:非分散型で(分光器を用いず)可視光の吸収(吸光度)を測定するのが比色法だろう。→
比色法:紀本さんとのやりとり(注2)非常に特殊であるが、物質を放射化(核反応で放射性同位体に)して、そこから出てくる放射線(光)を測定する場合もある。
# by arachan4553 | 2010-01-24 13:20
角皆先生が「
黄砂が酸性雨を中和」という文章を書いていたので、私が高橋教授(広大)の研究のオリジナリティーを簡単に説明しよう(間違っていたら訂正するので、気付いたら連絡して下さい)。
今までの知見
・春先に大量の黄砂が偏西風に乗って東へと運ばれる。
・黄砂には大量の炭酸カルシウムが含まれる。
今回の研究のオリジナリティー
・長距離輸送された黄砂粒子表面で、硫酸カルシウム(石膏)が多くなった。これは、もともと黄砂に含まれていたものではなく、大気輸送過程中に硫酸(酸性雨)と反応して生成したものであると考えられる。
今回の研究を可能にした技術
・黄砂粒子表面を分析できる放射光ビームライン
・エックス線吸収微細構造の研究(化合物元素の化合形態の評価)
今回の研究の背景には、過去の知見と最先端の技術が駆使されており、このような事実をマスコミは報道しなくてはいけないと思う。なぜなら昨年末の事業仕分けで大幅な予算削減が提案された大型放射光施設に関わることであるからだ。
私と同年代(少し上)の高橋教授(広大)とは何かと縁があるので、ささやかながら援護射撃をしてみました。実際の仕事でも、研究のお手伝いができれば幸いです。
(追記)
たぶん角皆先生が言いたかったことは、技術の進歩で(過去の研究の延長線上のような)細かいことが判ったくらいで満足せずに、もっと自然の原理に迫るような研究をしろということだと思います。つまり枝葉末節の検証ではなく、もっと根幹に関わる研究をしろと言っているのでしょう。
# by arachan4553 | 2010-01-10 14:02
この日本社会では、男は仕事をしないと、女は結婚しないと、他者とつながることができない。しかし、最近は様々な事情で仕事をしない男や結婚しない女が増えてきて、彼らの多くは孤立して孤独な状況に陥っている。一昔前の人たちは、彼らが仕事や結婚に伴うしがらみを避けて、彼らの自由意志で仕事や結婚をしないと考えているようだが、それは違う。彼らの多くは、他者とつながりたい、社会とつながりたいと切望している。
他者とのつながり方にもいろいろあるが、多くの人は人間的な心のつながりを求めている。今までのように仕事(金銭)や結婚(血縁)には関係なく、ただ相手を敬う純粋な気持ち(愛)で付き合いたいと考えている。皮肉なことにそれが孤立の一因にもなっているのだが、今の旧態依然とした社会がそれを受け入れられないことにも問題がある。一方で、インターネットやNPOといった新しいつながりが出てきたことは、将来への明るい兆しである。
私自身、仕事や結婚を通して、新しいつながりができた。それはしがらみとも言えるが、とどのつまり他者から必要とされるということである。それは生きる意味とも解釈できる。自分のために生きる場合、死ぬのも自由であるが、他者から必要とされ生きる場合、自分勝手には死ねない。私の推測であるが、現在の日本で自殺者が多い理由はここにある。
博士号取得者が社会とのつながりを求めていないというのは間違いで、むしろ専門知識を活かして社会に強く深く貢献したいと考えている(少なくとも私はそう考えている)。資本主義社会ではGDP(金儲け)に貢献しない専門知識は意味がないと評価されるが、金儲け以外にも大事な知恵(人類の遺産)は数多くある。むしろこれからの日本は金儲けの知識だけではなく(経済発展しなくも)、人々が幸せに生きていく知恵を見直す必要があると思う。
こんなことを私が書く気になったのは、ぴかさんのブログで「何かが欠けている不完全な自分が他者とつながるには」(
誰かと一緒に住むことについて、
共同生活について、
仕事をする意味とか、
社会と自分をつなぐ窓について)を読んだからである。彼女にとっては迷惑なことかもしれないけれど、私は彼女の文章や考え方が好きだ。たぶん彼女は(ブログでは自虐的に書いているけれど*)、どんな状況になっても上手く生きて行くんじゃないかなと思う。
*「ぴかぴか」なんて一種のアイロニーで、本当は今の心象は「どろどろ」で、そこから顔を上げて「ぴかぴか」になろうって感じ(たぶんそれが彼女のブログを書く動機付けだと思う)が好感を持てる。少し分析しすぎかな(ごめんなさい)。
# by arachan4553 | 2010-01-10 12:48
昨年は自民党から民主党へと政権が移り、
成長から持続へ、モノからヒトへ、
競争から協調へというような
日本にとって新たな転換点を
迎えることになりました。
私の生活の方も、結婚して新たな転換点を
迎えることになりました。
具体的なマニフェストはありませんが、
私自身の成長戦略だけでなく、
妻の幸せも考慮しなくてはいけない
とは自覚するようになりました。
財政状況は厳しいのですが、
今後も温かく見守っていて下さい。
# by arachan4553 | 2010-01-01 00:28
年末はバタバタして疲れた。
26日(土)は駅伝カーニバルでアップダウンのある万博記念公園コースを3km12分台で走り、29日(火)は白馬八方尾根のハードなコブ斜面(うさぎ平や黒菱)で6時間以上スキーをした。体重が増えて足腰に負担が掛かるようになったせいか、あるいは年齢と共に筋力や体力が衰えてきたせいか、30日(水)は身体の節々が痛くてスキーができなかった。仕方なく横浜に直帰して休もうと考えていたのに、実家で風呂の大掃除をさせられた。
27日(日)はスキーの準備(タイヤ交換含む)と部屋の大掃除をして年賀状を出した。28日(月)は大阪から高速をとばし白馬五竜でナイタースキーを楽しんだ。
妻は私のペースについて来られないようなので、今日(31日)後れて新幹線で横浜に来させた。30代最後の年も終わり、来年は40歳になるので、他人がついてこられるように、あまり無理せずやりすぎず、もう少し落ち着こうかな。
白馬八方尾根のパウダースノーは最高だった。写真でお裾分け。




# by arachan4553 | 2009-12-31 23:10
去年の12月末に中国で結婚してから、もうすぐ1年になる。日本への結婚届は今年の1月、妻の来日は5月だった。結婚式は3月に妻の実家で挙げたが、私関係の親族や知人は呼ばなかった。初めて親族に会わせたのは、今年の9月末のシルバーウィークだった(母は7月末に大阪で会っていた)。私の妻に会ったことがある知人は、成田に住んでいる大学時代の旧友しかいない。しかし、私のブログを見て、北海道や関東に住んでいる旧友達から「おめでとう」の電話やメールが来た。
私が近況報告をしたい人達は、全国(世界)各地に散らばっている。なかには連絡のつかない人達も何人かいる。ウェブに公開すれば、その人達ともつながることができるかもしれないと期待している。
ところで、中国のアカデミアへの研究設備投資は、どうなるのだろう?やはり、帰国した中国人研究者は、留学先(欧米が多い?)と同じ研究設備を購入するのか?共産主義で中華思想の国のアカデミアに入って行くには、どうすれば良いのだろう?やはり仲間や家族になるのが良いのかな?
そう言えば、大学院時代に国費留学していた博士号を取ったばかりの中国人研究者Y(有機化学専門?)は、数年前に学部長になっているな。国研時代に国費留学していた中国科学院の研究者M(触媒化学専門?)は、同じくらい偉くなっているのかな?私の妻の伯父Z(土壌化学専門?)は農業研究所の副所長で、その妻も同じ研究所の偉い研究者みたいだな。Z伯父夫婦は国費留学(短期)で日本の大学に来ているし、Z伯父の方は欧州にも留学経験があるらしい。大学院時代のY(現学部長)も、日本(北海道)の後にカナダに行っているから、学部長や所長レベルになる研究者は複数留学が当たり前なのかな?Z伯父は最近(今年の3月末に)ようやく博士号を取得したらしいけど、ずいぶんと優遇されている感じだ(今の日本とは、えらい違いだ)。昔(50年くらい前)の日本も、京大教授だった私の母の叔父(電気工学専門?原子物理学専門?)や叔母(昆虫学専門?)のことを聞くと、今の中国と(だいぶ規模は違うけれど)同じようだったらしいけど・・・
こんなことを書くと、私の両親が学校の先生だったと勘違いする人もいるようだけど、私の父は地方の小役人で、私の母は生命保険会社の社員だった。父方の祖父は高校の英語教師だったけど、母方の祖父は色々な職を転々としていた。そして、私は母方の祖父が好きで、そちらの影響を受けていると思うから、サラブレッドでも何でもない。
才能のある人達と一緒に何かをするのは好きだけど、私自身は器用なだけで天才でも秀才でもない。でも、一般的には偏屈だと思われているような才能あふれる人達と一緒に何かをするのは楽しい。彼等は決して偏屈なわけではなく、ある種のこだわりを持っているだけなのだから、それはきちんと尊重するべきだと思う。
# by arachan4553 | 2009-12-20 13:20
環境問題は実に多彩で、人口・農業・工業・経済等々、様々な側面がある。特に、健康(公衆衛生)や地下資源(次世代エネルギー)に関する問題は、日本が積極的に取り組まなければいけない分野である。一方で、環境分析(モニタリング)は簡易迅速化が求められるようになり、分析技術の専門性がなくなるだろう。
おそらく環境関連産業は、このように大きくなっていく。現在の新興国(中国やインドやブラジル)は、日本が経済成長したような道は歩まず、環境技術を取り入れた産業設備を導入していくと考えられるので、それに対応していかなければ、これからの日本の産業は生き残れないだろう。
# by arachan4553 | 2009-12-13 13:13
このブログに対する誹謗中傷があるようなので、これまでの経緯を書いておきたいと思います。
はじまり
・博士課程2年(1998年)頃に、当時の指導教官から週間レポートの提出が義務付けられた。
・ITプログラミングの勉強と研究内容の公開を考えて、博士課程3年(1999年)頃に大学内サーバーに公開サイトを立ち上げた。
一時中断
・大学を出て(2002年4月)から一時中断。
再開
・英国留学中(2004年8月)に再開。
・国研を出て(2006年4月)から研究サイトは中断。ブログのみ公開。
週間レポートに関しては、
指導教官の個人公開サイトを参照して下さい。
研究内容の一般公開に関しては、以下のように考えて行いました。
「我々の(行っていた)研究は、日本国民の血税(投資)で行っている研究なので、わかりやすい日本語で研究内容を報告する義務がある。まずは我々の(行っていた)研究の重要性や将来性を知ってもらい、我々の分野への投資額(研究費)の大きさを決めてもらいたい。一方で、研究は世界との競争なので、原著論文は専門ジャーナルに英語で書くべきである。」
幸いなことに、ブログでの研究内容の公開に関しては、今年のNature 457, 1058(26 February, 2009)に“It's good to blog”で肯定的に書かれているようです。
また、研究サイトと週間レポート(現ブログ)には、私の学費の出資者である実家の家族への手紙という意味もありました。大学院の頃は盆も正月もなく研究に没頭していたので、めったに帰省しませんでした。当時は帰省費もなかったのですが、(1歳下の妹に比較して)就職や結婚のことや自分も早く退職したいなど言われるので、正直帰省したくもありませんでした。ただ、私が研究していること、私の異国(北海道)での生活を、実家の家族(母)に説明しなければ、大学での研究が続けられなかったのです。
2002年3月に大学を出てから一時中断していましたが、日本学術振興会の博士研究員に採用され、出資者である日本国民に報告する義務があると考え、英国留学中に再開しました。と同時に、家族や友人や恩師に対する異国からの手紙でもありました。
本ブログで、ロストジェネレーション世代の若手研究者(博士号取得者)の置かれた悲惨な状況を報告したのは、日本の学術振興の出資が正常に行われていないことを出資者(国民)に知らせ、この状況を一刻も早く改善してもらいたいと考えたからです。そうしないと、国民にとって、若手研究者にとって、大変に不幸です。
実は、2006年3月に国研を出て、国民に報告する義務が無くなってから、何度も公開サイトをやめようと考えましたが、(私だけではありませんが)私が提起した社会問題は継続中だったので、書き続ける必要があるように感じました。
去年の経済破綻から今年の政権交代による研究費の縮減、それに伴う若手研究者の窮状は、(もう公開していませんが)2006年4月に書いた「現代のハーメルンの笛吹」で何となく予測はしていました。小泉劇場やマネーゲームを苦々しい気持ちで批判していたのには、そんな背景があります。
だから、このブログを書く理由は、環境問題に興味があるとか、気に入らない人を晒し者にしようとか、そういうようなことではないのです。
上に書いたような経緯で書き続けてきたので、改めて実名公開でブログを書いている理由を聞かれても困るのですが、おそらく今では「個人的な社会活動」と言えるのかもしれません。
(追記)
正直に書けない情報を入れていないせいか、勘違い(勝手な解釈)が多いようです。私個人に関わる勘違いならば良いのですが、私の周りの人達に関わる勘違いは非常に迷惑です。くれぐれも実在する人物と関連させて解釈しないで下さい。私なりに一般事象(個人体験や他者情報)を抽象論へ昇華させてから書いていますので。
# by arachan4553 | 2009-12-13 12:06
Natureに3週連続で日本の科学技術予算仕分に関する記事が掲載された。
“Japanese science faces deep cuts” (Nature 462, 258–259; 19 Nov. 2009)
“Democratic fallacy” (Nature 462, 389; 26 Nov. 2009)
“Japan budget threat sparks backlash” (Nature 462, 557; 3 Dec. 2009)
論調としては“Democratic fallacy(民主主義的謬見)”とあるように否定的で、大幅な(30-50%の)予算削減の例としてSPring-8とSupercomputerが挙げられていた。その他に、10-20%の予算削減が提案されたOcean-Drilling Programmeが書かれていた。
日本では蓮舫議員の「2番じゃ駄目なの?」発言をマスコミが大々的に取り上げたせいか、Supercomputerの話題ばかりに集中しているが、NatureではSPring-8が代表として取り上げられている。また、日本のマスコミでは事業仕分作業が肯定的に報道されているが、Natureではかなり否定的だ。
今回の事業仕分けでは環境対策関連も削減が提案され、私に関係のあった(現在でも多少ある)分野が大打撃を受けている。実は、大型コンピューター(地球シミュレーター)や地質分野(ODP)とも多少関係があったし、大型放射光(SPring-8)とは現在多少の関係があり、完全には他人事として受け止められない。
これらの事業予算は、今回削減されなくても将来削減されることは数年前(独法化された時点)から明らかだったので、ある程度は仕方がなかった。しかし、急激な予算削減は急激な労働状況の変化を招くので、現場の大きな混乱が予想される。つまり、ソフトランディングではなく、ハードランディングに向かっていると言える。ハードランディングではなく、墜落して多数の死者が出るかもしれない。
一方で、世界の情勢変化が早いので、変革の速度を早めるのも当然とも言える。そんな時の個人の自己防衛手段としては、素早く柔軟な対応が求められる。また、過去の成功体験は役に立たないから、現在の自分の置かれた状況を正確に分析して、将来の予測を立てなければいけない。
皆さん、死なないで下さい。
# by arachan4553 | 2009-12-06 13:17
私たちは知らず知らずのうちに、言葉という枠組みの中で思考している。ある種の枠組みは不自由であるが、私たちは枠組みがなければ何もできない。
生とは生物個体という枠組みであり、死とはその枠組みの消滅である。そして、生物群集(社会)は環境という枠組みに制限(支配)される。同様に思考は言葉という枠組みの中で行われており、おそらく言葉を持たない動物に深い思考はできない。しかし、その思考は言葉という枠組みに支配されている。
新規な発想を行うためには、様々な思考の枠組みを持つ必要がある。私自身、数字(図形)や英語で思考している時(特に英語で原著論文を書いている時など)、急に外から話し掛けられるときちんとした日本語を発することができない。
英語の原著論文はコンピュータのプログラムのように、非常にきっちりしている。それに比べ日本語は、主体(主語)や動作(動詞)が曖昧で、周りのもの(目的語)に対する表現(形容詞)が多いためか、非常に融通が利く(連歌的性質)。これが両者の世界観(自然観)の相違を示しており、英語圏の科学者が統一原理を求めるのに対し、日本語圏の科学者は他の新しい原理を求めることにも繋がっているようだ。
民主党の事業仕分け業務が、科学技術研究関連予算にも及んでいる。大型放射光施設のメーリングリストでも、(設備維持費として経常されている)予算を1/3~1/2縮減されるという話があった。他の研究分野でも同様の削減が行われているようだが、これは常勤でない大半の若手研究者の雇用を1/3~1/2(おそらくそれ以上)減らす、あるいは給与を1/3~1/2(おそらくそれ以上)減らすことと同じ意味である。つまり、それだけの数の高学歴若年失業者を出すことになり、失業者対策も同時に行う必要がある。ただし、一般的な失業者問題も深刻で底なし沼の様相を呈しており、大変な社会問題になりそうだ。
一般の日本国民にはあまり認識されていないかもしれないが、実は日本の若手研究者の問題は世界的に有名で、私が読者パネルをしているNatureでも定期的に報告されている。これからも話題提供という意味で日本の若手研究者の問題からは目が離せないが、アジア圏から日本へ来る留学生も減るだろうから、ますます日本の大学は窮地に追い込まれるだろう。
少し前の学会で私よりも少し上の准教授が「転職したい」とこぼしていたので、「あなたみたいな優秀な研究者が?冗談でしょう?」とこたえたけれど、今の大学は常勤の研究者にとっても危機的状況にあるようだ。
だからといって今は民間企業が良いとも言えない。研究費の削減は大学よりも厳しい。ただし大学とは違い残業は少なくなる(残業代も賞与も減るために給与が減る)。
これに対する開き直りとしては、予算という枠組みの中で考えて行動するしかない、ということである。「必要は発明の母」というではないか。厳しく制限された枠組みの中で、本当に次に必要なことが見えてきて、それが新たな発明につながるはずだ。そういう開き直りである。
大学関連の研究者達にも、縮減された予算の枠組みの中でもがき苦しみながら、新たな研究の種とシステムを作り出していって欲しい。
# by arachan4553 | 2009-11-22 12:34